エモい心理学

こころってやつは。エモい、つまりエモーショナルな心理学論文を書き溜めています。

いじめられている人を傍観する

最近やらなければならないことが多く、眠る前にYoutubeでマッサージの動画を見ることだけが唯一の楽しみだった。柔らかい皮膚をなぞる施術師の手つきは、痛みと快楽のツボを正確に知っている。気持ち良いのは画面の向こうの女性であるはずなのに、「うへぇ」と僕が声を漏らす。

 

あるいは、テレビの向こう側。あまり流行っていない、スベることが芸であるかのような芸人が今にもスベりそうな場面を視聴する。恥ずかしいのは静まり返るスタジオの真ん中で突っ立っている男性であるはずなのに、「うへぇ」と僕が声を漏らす。

 

あるいは、日常の一場面。勢いよくこちらに走ってきた友人が電柱の端で小指をぶつけるのを目撃する。痛いのは足の小指の無事を確認する友人であるはずなのに、「うへぇ」と僕が声を漏らす。

 

"共感性"って慈悲的な意味で用いられることが多いけれど、上述のような感情は全て共感性が関与しているのではないだろうか。なんてことを考えていたら、このような感情が研究で確認されていた。

 

そんなわけで、今日は他者の社会的痛みに関する論文。

Wesselmann, E. D., Bagg, D., & Williams, K. D. (2009). “I feel your pain”: The effects of observing ostracism on the ostracism detection system. Journal of Experimental Social Psychology, 45(6), 1308-1311.

 

論文の内容

この研究では、まず実験的に仲間はずれの状況を作り出しました。

仲間はずれと言っても、本当に仲間はずれにしてしてしまうと、倫理的に問題があるので、インターネットのバーチャルゲームを用いました。

このゲームでは、自分を含む三者でキャッチボールを行います。

そして、最初はボールが自分に回ってくるのですが、やがて自分にボールが回ってこなくなるのです。つまり、仲間はずれ状態になります。

この状態になると、社会的な痛みが生じるということが、アンケート回答やfMRIの脳活動で明らかになっています。

 

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         左が自分にボールが回ってきている場面で、右が回ってこない場面

 

上述したように、このゲームの本来の使い方としては、実験参加者を仲間はずれの状態にするものなのです。

しかし、研究者らは実験参加者にはゲームには参加させず、三者のキャッチボールをただ観察するように教示しました。

そして、三者のうちの一名が仲間はずれの状態にならないところ・なるところを目撃することになるわけです。

実験の結果、前者よりも後者のほうが、実験参加者はよりネガティブな感情を抱いていました。

つまり、自分でなくても他者が仲間はずれになっているところを目撃すると、心が痛むという解釈ができます。

 

感想       

これまでこのゲームを用いて研究されてきたのは、自分が仲間はずれになる場合、他の誰かが仲間はずれになる場合というものだった。

じゃあ、自分が仲間はずれにさせる場合はどうなるのだろう。つまり、いじめっ子になるのだ。

実験的にいじめっ子を作り出して、いじめっ子の心理状態を探るといったような研究も不可能ではない。

 

あと、これまでの研究では相手がコンピューターでも(と告げられていても)仲間はずれにされると心が痛むということがわかっている。

他者が仲間はずれになる場合、三者ともにコンピューターだとわかっていたらどうなるのだろう。果たして我々はコンピューターがコンピューターに仲間はずれにされていても心が痛むのだろうか。

 

 

ポケモン世代ならわかってくれるだろう。

幼少時代、ポケモンで大事に育てていた、それはもう非常に可愛いピカチュウが、終盤の四天王戦であっけなく瀕死に追い込まれたことを思い出した。確かに心が痛み、そして許せなかったのは、僕が子どもだからだったからなのか...。

 

 

おしまい。